学習院大学卒業
1967年 弁護士登録(第一東京弁護士会)
1980年 新都心綜合法律事務所開設
年 財団法人年金住宅福祉協会監事
社団法人日本楽劇協会監事 外
主要著作
「不動産用語辞典」共著(一粒社)
「土地・建物」共著(第一法規出版)
「実務法律体系 マンション・建売住宅」共著(青林書院新社)
「百科事典」共著(講談社)
私が弁護士となった経緯についてお話しすると
私の親類縁者は、皆科学系統の学者か医者ばかりで理科系の家系であったため、法律家とは全く無縁の環境の中で育った。父親は有機化学者の教授をしていた。そんな私が何故弁護士という職業を選んだかというと、大学4年の9月半ば頃、ゼミの教授よりこの先の就職について「君は一体なにをしたいとのか」と問われたことに始まる。私は、会社に就職するより、何かもっと自由な意思を貫ける仕事に就きたいと答えた。私には文学的才能も芸術家的才能も無いので、たまたま法律学科に在席していた中で、「自由」な立場を得るための職業に就くには、司法試験を受けて弁護士となる道を選択するのが残された道ではないかという結論に至ったが、その際教授からは
「小林、お前が本気で司法試験の受験を志すならば、私が外で君とすれ違っても小林だと解らない位の顔付きになる覚悟で真剣に勉強しないと駄目だぞ」
と言われた。その日以降、心を入れ替え法律の勉強をしようと決心し、真面目に法律の勉強を始めたのである。
その後、大学卒業後、研究生として大学に在席していたが、外の大学の大学院に入学した方がよいと先生の助言を受け、名古屋大学の大学院に進路を決めた。私は当初京都大学の大学院の試験を受けたいと思い京都へ何時間も掛けて行ったが、既に受け付けは終了していたため、名古屋に住む叔父・叔母の家に立ち寄った。叔父は名古屋大学で物理の教授をしていたが、叔父の家の隣人が名古屋大学の刑法学者だったため、叔母が隣人に名古屋大学の大学院について聞いたところ、また受付を行っていると事だったので、受験することが出来た。無事大学院へ進学し2年目の年の司法試験に合格し、弁護士となった。
弁護士は、その仕事を行う上で、権力や組織に汲みする事無く、あくまでも自由な立場を維持・継続し、自分自身の価値観・信念に基づいて行動することが最も大切と考えている。
日本弁護士連合会で「自由と正義」という月刊雑誌を発行している。自由と正義とは並列的同価値を有するものではなく、まず基本的に何事にも束縛されることなく、自由な立場を貫き通すことにより、正義の実現が可能になる。その為には、偏見・予断無く事実を事実として、認識することが絶対的に要求される。しかし、難しいのが、科学的事実と社会的事実とは異なる現象であり、社会的事実は、人間が持つ様々な意思が複雑に絡み合って形成される現象であるということである。その中からこれらを分析し、判断し、その中心に存在する真実を見極めることが弁護士という職業に架せられた使命だと私は考えている。その為に、色々な問題を抱えている方と胸襟を開いて本音で話し合うことにより、問題解決の核となる事実認識を共有するよう努力したいと考えている。
弁護士は、一般的に偽善の律法学者と呼ばれる「パリサイ人」でなってはいけないのである。